保証人川平考えました『万葉集』と方言
どのようなことが考えられていたのでしょうか。
『万葉集』には「東風 越俗語、東風謂之安由乃可是也」吉祥寺エステ(巻17・4017番)のように、当時の方言についてそれと明示した記述があるが、いちいち方言と銘打ってはいなくても、実は大量の方言が記録されている。即ち、巻14の東歌(あずまうた)と巻20の防人歌(さきもりうた)である。
東歌は東国地方の歌の意で、東国(今の関東・東北地方から東海地方まで含まれる)に伝わる歌を収集し、どの国の歌か判明している歌(勘国歌。90首+5首)と不明の歌私設私書箱(未勘国歌。140首+3首)に二分して収録している。多くの歌で上代の東国方言が多用されており、歌の成立年代や作者の出自、記録の経緯が一切不明という問題点はあるにしても、古代の方言の具体的な記録として重要な位置を占める。また、分量の豊富さも魅力である。
防人歌は東国から徴集された防人の詠んだ歌の意で、巻13や巻14にも少量見えるが、最も著名なのは巻20に「天平勝宝七歳乙未二月、相替遣筑紫諸国防人等歌」として84首収録されているものである。これは天平勝宝7歳(755年)に私書箱・福岡徴集された防人の詠んだ歌を、防人を率いてきた各国の部領使(ことりづかい)に命じて記録、上進させたもので、関西私書箱
拙劣歌として半数近く(82首)が棄てられてはいるものの、採用された歌については作者の名前から出身国(国によっては郡名まで)まで逐一記されている。しかも、万葉集に採録するにあたって、内容はもちろん万葉仮名表記に至るまで上進時のままで改変されていない可能性が高く、東国方言資料としての価値は東歌を凌駕するものと評価されている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』